多能工化と技能伝承は、「全員が全部の工程をできるようになる」ことを目指す取組ではありません。効く場面と効かない場面を見極め、スキルマップで現在地を数字にし、OJTを教える手順に分解し、評価・処遇の考え方とつなげ、最後にベテランの暗黙知を記録に落とす——という順で整理すると運用しやすくなります。本記事はこの5つの手順を、公的統計と現場で使える形で解説します。
製造業では、人材育成に「指導する人材が不足している」という問題を抱える事業所が6割を超えています。まずどこから手を付けるか、優先順位を決めることが実務的です。
多能工化が効く場面と効かない場面
厚生労働省と経済産業省・文部科学省が共同でまとめた「2026年版ものづくり白書」概要版(令和8年5月)では、製造業の人材育成の問題点として、「指導する人材が不足している」が62.8%で最多。次いで「人材を育成しても辞めてしまう」54.4%、「人材育成を行う時間がない」45.4%、「鍛えがいのある人材が集まらない」34.6%、「金銭的余裕がない」13.8%と続きます(問題があるとする事業所を100とした複数回答)。対象工程を絞り込み教え方を標準化することは、このうち「指導する人材の不足」や「育成時間の不足」への対応策になり得ます。
一方で、多能工化には向き・不向きがあります。本記事では「工程が止まったときの影響の大きさ」と「その工程を代わりにできる人数の少なさ」の2軸で優先順位を整理します。
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| 場面 | 効きやすい例 | 効きにくい例 |
|---|---|---|
| 工程停止の影響 | 止まると後工程全体が止まる工程 | 止まっても在庫や代替ラインで吸収できる工程 |
| 対応できる人数 | 特定の1〜2人しか担当できない工程 | すでに複数人が対応できている工程 |
| 習得までの時間 | 自社で設定した期間内に必要な水準まで育成できると見込まれる工程 | 資格取得や長期の実務経験が前提の高度技能 |
「効きにくい例」まで対象を広げると、教える側の負担が増え、前述の「人材育成を行う時間がない」という問題をさらに大きくする可能性があります。優先順位を付けずに全工程へ広げないことが最初の判断です。

スキルマップの作り方——工程×レベルの4段階
優先順位が決まったら、対象工程について「誰が・どこまでできるか」を1枚の表にします。これがスキルマップです。列に工程、行に従業員を並べ、セルにレベルを入れます。レベルは、たとえば次の4段階から始められます。
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| レベル | 状態 | 本人ができること |
|---|---|---|
| Lv.0 | 未経験 | 工程の内容を説明できない |
| Lv.1 | 補助があればできる | 指示や手順書を見ながら作業できる |
| Lv.2 | 一人でできる | 手順書なしで、決められた品質・時間内に作業できる |
| Lv.3 | 他者に教えられる | 手順の理由まで説明し、他の人の作業を確認・修正できる |
表ができたら、工程ごとにLv.2以上が何人いるかを数えます。0人または1人しかいない工程が、育成の優先候補です。更新頻度は一律ではありませんが、四半期ごとの定期確認に加え、配置転換や欠員などが生じた際に随時更新するという方法があります。更新を担当する人(例えば工程リーダーや班長)をあらかじめ決めておくと、更新漏れを抑えやすくなります。
OJTを「教える手順」に分解する
白書によると、製造業で計画的なOJTを実施した事業所の割合は、直近(2024年度)で正社員67.6%・正社員以外26.4%です。正社員は感染症拡大以前の水準を上回るものの前年より低下し、正社員以外は前年より上昇して感染症拡大以前を上回りました。本記事では、計画的なOJTを、教える内容と順序をあらかじめ決めた訓練として扱います。
本記事では、OJTの対象となる作業を、次の3つの動作・判断に分けて言語化します。
- 基準動作:標準的な手順・時間・使う道具を、Lv.3の人が言葉と写真で書き出す
- チェックポイント:失敗しやすい箇所、品質に直結する箇所を3〜5個に絞って明示する
- 合格の基準:どこまでできればLv.2とみなすかを、時間・数量・不良率など数字で決める
この3つを明文化しておくと、教える人によるばらつきを抑えやすくなります。手順を標準化する考え方は、段取り替え時間の短縮を扱った記事の内段取り・外段取りの分解とも共通します。文書化には初期の手間がかかりますが、繰り返し教える工程では説明時間を短縮しやすくなり、「人材育成を行う時間がない」への対策のひとつになります。
時間の確保についても、感覚で「忙しいから無理」と判断せず、まず1回分のOJTに何分かかるかを実測することをおすすめします。
単純な試算例は、上記の所要時間×対象人数×1人あたりの月間実施回数です。集合実施や準備・記録の時間で変わるため目安として使います。可視化しておくと、生産計画や人員配置を検討する材料にできます。

評価・処遇とどうつなげるか
スキルマップとOJTの仕組みができても、レベルが上がったことが評価や処遇に反映されなければ、従業員が取組の意義を感じにくくなる可能性があります。ここで社内の基準だけに頼らず、外部の物差しと突き合わせる方法があります。
厚生労働省が整備する「職業能力評価基準」は、仕事をこなすために必要な「知識」と「技術・技能」に加え、「成果につながる職務行動例(職務遂行能力)」を業種別・職種・職務別に整理した公的な基準です。平成14年度から、事務系職種のほか電気機械器具製造業・ホテル業などを含む56業種で整備されています。人材育成・採用・人事評価・検定試験の「基準書」として使えるよう設計され、一部業種では現在の能力レベルを把握する「職業能力評価シート」や「キャリアマップ」も用意されています。対象業種・職種に基準があれば、スキルマップの4段階をこの職務行動例と突き合わせることで、評価基準を検討する外部資料として使えます。ジョブ・カード制度と連携した「モデル評価シート」「モデルカリキュラム」もあります。
処遇への反映方法は工場によって異なりますが、共通して言えるのは、技能レベルの判定基準と処遇への反映条件を、従業員が両者の関係を理解できる形に整えておくことです。評価を先に決めてから処遇の仕組みを後追いで作ると、両者の関係が不明確になり、評価が処遇にどう結び付くのか伝わりにくくなる可能性があります。
技能伝承を記録に落とす——動画・手順書と時間の見積り
白書が引用するJILPT「ものづくり産業における人材確保・定着と技能継承に関する調査」(2026年5月)によると、技能継承の推進のための取組として、「再雇用や勤務延長などにより高年齢の従業員に継続勤務をしてもらう」と回答した割合が54.8%で、従業員規模にかかわらず最も高い項目でした。ただし継続勤務だけに頼ると、退職後に技能を伝える人がいなくなる可能性が残ります。継続勤務と並行して、暗黙知を記録に落とす作業を進めておく方法が考えられます。設備の保全に関わる技能なら、予防保全のKPIを扱った記事の点検周期の考え方とあわせて整理すると分かりやすくなります。
記録の形は、文章の手順書より動画が向く作業があります。目安は「言葉だけでは説明しにくく、映像を併用すると動きを伝えやすい作業」です。工具の持ち方や力の入れ方、異音、目視できる振れ、計器表示から異常を判断する場面などが当たります。
- 撮影対象を絞る:基準動作の中でも、熟練者の経験に依存している判断(「この音がしたら止める」等)を優先する
- 短く分ける:一つの動作や判断ごとに分け、必要な部分だけ見返せるようにする(設定例として1本1〜3分程度に区切る方法がある)
- 文字の手順書と対にする:動画は「何をどう動かすか」、手順書は「何分・何個・どの基準で」を担当させ、役割を分ける
時間の見積りは、撮影・編集・確認の3工程に分けると計画しやすくなります。試算例として、短い動画1本につき撮影45分・編集45分・確認30分と仮定すると合計は約2時間です。実際の所要時間は動画の長さや撮り直し、確認回数で変わるため、まず1本を試作して実測することをおすすめします。全工程を一度に動画化しようとせず、「多能工化が効きやすい工程」から着手すると、限られた時間を重要な工程へ配分しやすくなります。
技能伝承は一度作って終わりではなく、基準動作が変わるたびに記録を更新する前提で、更新の担当者と確認時期もあわせて決めておくと、記録を維持しやすくなります。
よくある質問
多能工化はどの規模の工場から始めるべきですか
規模の大小より、対応できる人数が1人しかいない工程があるかどうかが判断材料です。白書では、事業所規模が小さいほどOFF-JTの実施率が低いとされています。規模にかかわらず、代替できる人数が少ない工程や停止影響の大きい工程から優先して着手する考え方が現実的です。
スキルマップと人事評価シートは別々に作る必要がありますか
別に作っても構いませんが、レベルの定義を二重に決めると食い違いが起きやすくなります。スキルマップは技能面の評価資料として活用し、他の評価項目との関係も整理したうえで、反映方法を人事側の仕組みで決める形が運用しやすくなります。
技能伝承の動画は誰が撮影・編集すべきですか
撮影・確認を対象技能に詳しいLv.3人材が担い、編集を別の担当者に分担する方法があります。撮影データの管理方法を決め、対象工程に詳しい人が完成内容を最終確認します。ベテランの時間を確認作業に集中させ、OJTに使える時間を確保しやすくします。
まとめ
- 多能工化は全工程に広げず、工程停止の影響が大きく対応できる人数が少ない工程から優先順位を付ける
- スキルマップは工程×4段階レベルの表にし、更新頻度は実態に合わせて設定する(四半期ごとの確認や配置転換・欠員時の随時更新が一例)
- OJTは基準動作・チェックポイント・合格基準の3つに分解し、教える人によるばらつきを抑える
- 評価・処遇は職業能力評価基準など公的な物差しと突き合わせ、評価基準と処遇への反映条件の関係を整理する
- 技能伝承は継続雇用だけに頼らず、動画・手順書での記録化と、更新の担当・頻度をあわせて決めておく
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編集確認
株式会社恒電社 編集部
法令・告示・公的統計・白書など、国や行政が公表している原典にあたり、出典・前提条件・数字の扱いを編集部で確認しています。